岩手、日本の原風景へ 8月7日 遠野
2009/08/07 21:33
旅に出て4日目。今日は昨日に引き続き遠野。朝、もう一人の先生と話をしているとどうも絵を描く人らしい。車の話をすると絵を描いてみたいというので快諾すると、準備をしている間に30分ほどでするするっときれいにセブンの絵を描いていた。鉛筆画の端正な絵にびっくり。写真はたくさん撮ってきたけど、絵にかいてもらうとすごく素敵に見える。すばらしい。毎年画集を出しているということで、セブンの載った画集が出たらいただけるということだった。うれしい。こんなに素敵な絵を描いてもらえるのなら、もっとゆっくり準備すればよかった(^_^)。
ということで遠野観光に出発。昨日の夜にホステラーのおじさんがすごく詳しく観光ガイドをしてくれたので、ここはという所を目星をつけておいた。とはいえ、地図で見るだけでも遠野は広い。本当は自転車とかでまわりたいところだけど、限られた時間でまわるためにも、午前中は遠くの方に行くことにして、まずはセブンで出撃することにした。
遠野駅の南西に卯子酉様(うねどりさま)というお社がある。女性のための縁結びの神様だそうで、左手で赤い布を結びつけると縁があるということらしい。女の人限定らしいが、その赤い布たるや半端な数ではない。女性の縁にかける執念はすごいと思う。
こんもりとした木々に埋もれるように卯子酉様はある。お社自体は小さなものだ。
赤いひもに書かれた願い。「しあわせになれますように」
最近結ばれたものから色あせたものまで。
そしてすぐ隣は民家。びっくりするぐらい近くに民家。見に来た観光客が間違ってあがりこむんじゃないかと思うくらい近くだ。遠野の観光地図に載っているポイントは、民家とか畑とかがが隣接していたり、民家そのものだったりする。遠野のお社なんかは観光地ではなく、今も日常の生活に根ざした「そばにいるもの」としての道祖神、土産神がまだ生きているのかもしれないということを感じた。先日の夜のホステラーさんが「遠野はこれと言ってすごい観光地があるわけでもないです。見るところではなく感じるところです」と言っていたのをのっけから実感した。
左の林の中に卯子酉様がある。右は民家。
そこから愛宕神社をちらりと参詣し、五百羅漢に向かう。はじめは愛宕神社に五百羅漢があるかと思ったけど、ちがう場所だった。
古いお社に向かう。ここも月見坂という名前の坂を登っていく。とにかくどの社も高いところにある。
急坂を振り返る。
きれいに撮れたけど、何があるというわけでもない。
遠野の五百羅漢は自然石に彫り込んだものらしいが、道を行けども山を登れどもそれらしいものが見えない。道が途絶えたと思って見回してみると、苔むした岩肌に仏様の顔が薄く彫り込んであるのが見えた。
愛宕神社の横に入り口の碑がある。
途中で見かけたあばらや。味わい深い。
はじめは五百羅漢ってどこ?って感じ。
ふと周りを見回すとあちこちそこらじゅうに羅漢様が掘ってある。自然の中に潜むように、羅漢様達がいる。知らずのうちに囲まれていたことに驚いた。人里離れた山中に、自然と仏と人をつなぐように五百羅漢がひっそりとたたずんでいた。この羅漢様は、大飢饉で亡くなった人たちを悼んで作られたものらしい。一体一体掘っていった僧の悲しみを、少しでも感じられたらと思う。
様々な羅漢様。あまりにもファンタジックだ。
よく熊が出るらしい。次の朝も「●●地区に熊が出没しました。ご注意ください」と放送がかかっていた。
と、ここで舗装された道に戻り、「程洞のコンセイサマ」に向かう。こんせいさまとは「金勢様」もしくは「金精様」と書くらしく、要するにオ○ン○ンの形をしたモノだ。女性の安産祈願らしく、男が「大きくなってほしいなあ」などと願うものではないらしい(^_^;)。お堂の中にはたくさんのアレがお供えされている。別にバカにするわけでもなんでもないが、アレの形をしたモノがずらりと並んでいると苦笑いが浮かんでしまう。何と言ってもオ○ン○ンの木彫りの像がたくさん並んでいれば、それは笑うわ。コンセイサマに行った後だと、そこかしこにある自然石に注連縄が張ってあると、「あれもコンセイサマだな」とか思うようになる。
様々なコンセイサマが並ぶ。
ぶっとい木々に囲まれる。本当に山深いところになぜ建てたんだという感じ。
コンセイサマまではちょっと歩くので、えっちらおっちら戻り、再び車に乗る。今度は西の端の方にある「続石」を見に行く。続石の珍妙な形は、自然にできたものか人工的なものか議論があるらしく、人によると古代文明のドルメンだという。ドルメン……その響きがかっこいい。支石墓と日本語では言うらしい。この続石は武蔵帽弁慶が石を積んで作ったという伝説があるようだ。弁慶やりすぎ。ちなみにこ続石の入り口も、民家の脇を通って入る。
セルフタイマーで自分も入ってみた。人が入らないとスケール感がわからない。右の石だけで支えられている。
脇にはお社がある。
続石の所からの風景。田園風景が素敵。
続石から500m程行くと、曲屋が今も残る「千葉家」がある。古い豪族で、余りに大きな屋敷ゆえに茅葺き屋根の葺き替えに600人もの人手が必要になったらしい。内部に「ここから先に入らないで」と手書きの張り紙がしてある。続を読むと「ここからは人が住んでいます」……要するに千葉さんがここにいるのですね。わかります。そういえば白川郷に行ったときも、ごくふつうに重要文化財に人が住んでいました。まだ人が住んでいる生活感を感じながら、控えめに見学していくのもおもしろい。
とにかく広い。
中の庭園も素敵
石垣からもここの豪族っぷりがわかる。
本当はここでYHに戻って近隣を自転車でまわっていこうと考えていたのだが、この時点で12時半。このままでは間に合わない。道の駅遠野でご飯を食べ、「トオヌップ」とアイヌ語風な名前の付いた高清水山展望台へ向かう。以前行った山中湖の移動教室の場所にもアイヌ語起源の地名があって、そこが南限だという話も聞いたことがある。東北にはアイヌ語期限の地名が結構あるらしい。
道の駅のご飯。結構おいしい。
近所の山なので、そんなに高くはないだろうと思っていたのだがこれが結構高くて、登れど登れど上につかない。だんだんイライラしてきてアクセル全開。空模様も微妙で、フロントスクリーンには小さな雨粒がぽつりぽつりと見えてきている。しばらく走ると森を抜け、そこは牧場が広がっていた。牧場の向こうに木の小屋が見え、そこが展望台になっていた。ポツポツ降ってくるような天気なので、展望はあまりよくなかったが、それでも平野部の様子は見て取ることができる。田植えの前には水田が海のように広がり、秋には黄金色の海になるそうだ。その様子も見てみたいと思う。
曇り空が残念。
結構な高所で、上が開けていて牧場になっている。
高清水展望台から、登ってきた方とは逆方向に山を下り、遠野ふるさと村へと向かう。この時間になるともう自転車でまわろうという気持ちはすっかりなくなり、せめてセブンの特性を生かして遠野の気配を感じて行くかを考えていくしかない。ビキニトップをはずし、30km〜40kmでのんびり走ることで、町の雰囲気を味わいながら走る。田んぼの間を走っているとき、道ばたにひもが落ちているのの上を何気なく通ろうかと思ったら突然ひもが動き出した。蛇だった。びっくりしたなあ、もう!iPhoneナビでふるさと村に行こうとしたら、危うく田んぼの間の舗装もされていない農道に連れて行かれそうになった。おまえはセブンをどうするつもりだと小一時間説教してやりたい。
蛇を踏みそうになった道ばた。
その辺にもいろいろな像が建っていたりする。
遠野ふるさと村は遠野の古民家を移築して体験型の活動ができる施設だ。今まではどこから観光名所でどこから民家かわかりにくくて悩んだが、ここはすべて民家ではないから安心して入っていくことができる。とはいえすべて本物を移築してきたものなので、歴史が刻まれた感じが半端ではない。白川郷にもにたようなものがあったが、個人的にはそこよりも古い町並みが雰囲気良く再現されていると思う。
ふるさと村の入り口。古民家テーマパークだ。
……テーマパークの、入り口とは思えぬ入り口。
昔にタイムスリップしたような錯覚を覚える。
一番手近な曲屋に入ると、おじいとおばあが3人ほど座って話をしている。「ま、こっちさこい」と呼ばれ、話をしていたらそれだけで20分くらい経過する。おじいのほうは話は分かるが、おばあの方は方言を聞きやすく話そうなどという気が毛頭なく、半分ぐらいしか分からない。分かるところは手をたたいて笑いながら聞き、分からないところはアルカイック・スマイルを決めてうなずくことで切り抜けた。
どこもかしこも立派な曲屋だ。
かごに赤ちゃんをいれて畑作業などをする。その間子どもは放置だ。
子どももここにいると100年くらい昔に戻ったような風景になる。
懐かしいはえ取り紙。
おじいとおばあたち。いい人たちだ。
わら人形の展示。3mはあろうかという巨大なわら人形に、巨大な●●が……。ここでもコンセイサマが。
大きな木像はカッパの像。
ひまわりが夏らしい。
馬もいる。
ふるさと村の中には、小さなお社の再現もある。お社の横にあるお堂を見ると……ここにもコンセイサマが。わら人形にもにょっきりナニが生えてるし……遠野の人々は本当にコンセイサマ大好きだなあ。いろいろな形のコンセイサマが奉納してあって、僕もすでにコンセイサマが大好きになってきている。あのね、絶対ね、好きになるよ、コンセイサマ。
テーマパーク内とは思えぬ古めかしさ。
水車も回っている。
出た!コンセイサマ大集合!金色に塗るなって(^_^)。だんだんお子様の見られない日記になっていく……
さびた消防ポンプがかっこいい。
なんか、テーマパークってよりも、ここで生活してるって感じがする。
お地蔵様はちょっと新しめだった。
蓮の花もそこかしこで咲いていた。
コンセイサマついでに、ふるさと村を出て東の方にある「山崎のコンセイサマ」を見に行く。自然石で加工していないとは思えないほどのそっくりで立派なコンセイサマらしい。駐車場に車を止めて、お堂に見に行ったが、お堂の横の岩もそれらしいモノがおいてあった。僕はそれを山崎のコンセイサマと思いこんでいたのだが、お堂の中にある方が例のコンセイサマだったらしい。あとで写真でみてその立派なナニぶりに感心したのだが、実物を見なかったのはもったいなかった。
コンセイサマに向かう道すがら。ここの子どもたちは遊べる川縁がたくさんあっていいなあ。
自然石にしめ縄が張ってあれば、それはコンセイサマかもしれない。
お堂の横にもコンセイサマ。知らなかったせいでお堂の中は見なかった。残念。
その後山口の水車、デンデラ野、佐々木喜善の家などに寄る。この辺は同じ通り沿いに並んでおり、見てまわるのは一気にいける。山口の水車はいまだ現役の水車。昔は集落にそれぞれ水車があったらしいが、今ではほとんどないとのこと。それでも現役でちゃんと水車が働いているところがすごい。水車の隣は例によって民家。この辺の通りの寂しい感じがとっても素敵。
実際使っているらしい。さすが遠野。
道ばたにぽつんと鳥居が。???となって見渡すも、小さなお社があるだけ。何かあるのかと思って進んでみたら、山の陰にさらに3連の鳥居があって、山の上に薬師堂があった。こんな隠しキャラ満載の遠野が好きだ。
道ばたに鳥居だけがある不思議な風景。
セブンを降りて歩いてみる。
小さなお社が畑の中に。まさかこのための鳥居じゃああるまい。
山陰に鳥居発見!
味わい深すぎる。
お社自体は、そんなにすごいものではないが、そこに至るまでの雰囲気がいい。
山の上側から見た鳥居。なんとも言えない。素敵すぎる。
デンデラ野はその昔は姥捨て山だったらしい。捨てられた年寄りがより集まり、農作業の手伝いをしてはいくばくかの食べ物をもらい、死が迎えにくるのをまったそうな。今は畑の横に展示用の小屋がたててある。捨てる方も、捨てられる方も、さぞかし悲しいことだろう。佐々木喜善の生家は、普通の民家。案内板がたっているけど、ごく普通に今でも生活している人の家なのであがりこんだりしてはいけません。佐々木喜善の墓のあるあたりはダンノハナと言って、昔の処刑場だったらしい。こええ。
捨てられた老婆たちが暮らしたという小屋の再現。
粗末な家の中。
江戸時代は今より平均気温が3度低く、よく凶作になったらしい。
ダンノハナから見た風景。故郷の景色を見ながら処刑されたのか。
佐々木木全の墓の近く。墓を直接撮るのは気が引けたので……
帰り道。とくにガイドにあるわけではないが、立派な碑がたくさん並んでいた。
ここまでがんばってまわって5時半。必死です。遠野YHに帰還してみると、客が昨日よりずっと増えていた。フランス人の家族とか、静岡で英語教師をしているお姉ちゃんとか、外国人も多数。RX−8のお兄さん、ハーレー乗りのお姉さんなど、乗り物も多彩。ヘルパーのお兄さんが流暢な英語で観光ガイドをしていた。このおにいちゃん、世界を旅してきているらしい。ほかにもヘルパーで女子大生のお姉ちゃんが3人も加わり、9時からのお茶会なんかはとても華やかだった。
遠野YHおいしいご飯。遠野よいとこ一度はおいで。