教育基本法改正を考える

 たまには真面目なことも考えてみる。この度、教育基本法が改正されたけど、なんぼ考えても議論が足りないだろう。国の根幹をなすできごとを、強行採決で押し通してしまおうというやり方は、やはり国の進む先をおかしくしてしまうように思う。
 自分なりに新教育基本法のあやしいと思う個所を2ヶ所あげてみる。

●こちらが旧法第1条
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

●そして新法第1条
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

「心理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」という文は「必要な資質」に置き換えられて削除されている。ここをわざわざ削除する理由がよくわからない。「細かいことががよくわかんなくても、国家及び社会を形成するには、お上の言うこと聞けばいいからね」と言われてるような気がするのは穿った見方か?「必要な資質」などとぼかした物言いなのは、その時々で必要としている資質とやらを国が提示するつもりなのだろうか。

●旧法第10条
第10条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

●それに対応する新法第16条
第16条(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

 似たような条文だけど、よく見ると書いてあることがだいぶ違う。旧法は教育の主体は国民全体にあって、「不当な支配に服さない」教育は国民のものだった。新法では教育行政に主体があるように書かれていて、「不当な支配に服さない」のは行政側だ。要するに教組潰しを法律で規定したいのね?とか思ってしまう。まあ僕も組合員ではなけれど。
 今回の教育基本法は、教育のことを考えて作ったというより、政治のことが先にたって作られたように思う。卒業式の日の丸君が代が強制されてきたり、防衛庁防衛省に格上げになったのを考えると、日本がどんどん「戦争できる国」へと向かっているような気がして怖い。
 「斎藤剛史の教育ニュース観察日記/ウェブリブログ」で「安倍首相の教育改革は、現在の学校教育への不信感と教員に対する悪意で成り立っている。だからこそこの教育改革は成功するかも知れない」という趣旨のことが書かれていて、なんだか妙に納得してしまったことがあった。不信感や悪意では、決してよい方向にすすまない、と思う。