教育セミナーに行ってみた(自分用レポート)

 以前研究授業を見てもらった高橋壯之先生から、教育セミナーへのお誘いの手紙をいただいたので行ってみた。先生はこの教育セミナーを主宰している総合初等教育研究所の室長を務めていらっしゃる(今回初めて知ったけど)。室長先生からのお誘いじゃあなあ、行かぬ訳にはいかないよなぁ(^_^;)
 研究テーマは「新教育課程における指導方法の改善」ということだったが、肝心の新教育課程が教育基本法の改訂と教育再生会議の影響で3月には決まりそうもない、ということだった。また、サブテーマとしてPISA調査に基づく読解力の育成と、豊かな心の育成ということが上げられていた。
 「豊かな心」とか「人との関わり」とかそういったキーワードが、いろいろな研究会でテーマに上げられていることが多い。昭和の時代であれば、地域や家族で育ってきたことができなくなっていて、その役割が学校へと移行していることなのかな、と思う。
 とはいえ現任校は地元の人が多く、下町の雰囲気を色濃く残すために、地域の力は強い。この前の「おじさんの会」に出た時の熱気は、地域の力が衰えていないことを感じさせるには十分だった。あとはそういった地域の力と、教員の力がちゃんと噛みあっていくことが大切なんじゃないかと思う。
 教員はよく「地域や家庭の力が弱いから……」なんて言ったりするが、僕は地域や家庭の力はまだまだあると思う。課題は、互いにどうやって協同しあっていくかということだろう。地域の行事や、普段からのふれあいを大事にしていくような「足で稼ぐ」教育がいまこそ有効なんではないかな〜と考えている。だから地域の店に飲みに行くのであって……え、それはおまえが酒を飲みたいだけだろって?失礼しました。
 セミナーでは各教科の分科会があり、僕は道徳分科会に出席した。指導方法の改善ということで、新たな学習モデルの構築ということをテーマに取り組んでいた。小学校高学年から中学生にかけての道徳嫌いのパターンとして多いものは「意外なことがない」「先生の話が長い」ことだそうな。そのために、児童生徒が意欲的に道徳的価値に迫ることができるようになるための新しい授業モデル作りをして行く必要性があると考えているらしい。これは中教審の審議でも道徳の内容や形式両面にわたる見直しが必要だと検討されている。
 研究授業では「道徳的心情」より「道徳的判断力」ということに重点を置き、資料や発問を構成していたことが印象的だった。資料を読んだ後、「ここでは何が問題なのでしょうか」などの質問が、より判断力を求める要素となっている。自分自身でもこれからの道徳にどう生かせるかということは考えていく必要があるだろう。
 分科会の後はシンポジウムがあった。文科省の教育課程の編成に直接関わる「初等中等教育局教育課程課長」が来ていたのだが、話が非常に分かりにくくて「教育基本法の改訂と教育再生会議の影響で3月には決まりそうもない」という以外は奥歯に物の挟まったような言い方が多く、どうにも煙に巻かれるような印象だった(実際に作っている人からは言えないことが多くて分かりにくい話しかできないのかも知れないが……)。「ことばと体験」とか、「習得型の学習と、探求型の学習を対立させるのではなく、その間に活用型の学習を入れることで両者をつないでいく」とか、いくつかのキーワードが出てきたのだが、どれも現場の問題からは乖離しているような気がしてならなかった。
 他のシンポジストで出ていた、岐阜大学教授の先生が面白いことを言っていた。教育を評価する時には「意図のレベル」「実施のレベル」「結果のレベル」で評価していくことが必要であると国際的に認められているのだが、今は意図のレベルだけで物事が進んでいる。教育再生会議のようなところからのトップダウンを押し付けられて新しい教育課程を作っても意図のレベルでしか話が進まない可能性があるから、現場からの声を大事にしてほしい……という話があったのはちょっと嬉しいことだった。
 最後に質疑、意見を会場から求められたのだが、なかなか誰も手を上げない。総合的な学習の質問が続いた時に、思いきって僕も手を上げてみた。「総合的な学習の時間の理念はすごく好きだし、うまく使うと本当に面白いことができると思う。けど現状の忙しい中で準備の時間が確保できないと、逆に設定された時間をこなすだけで精いっぱいになってしまう。総合的な学習の『意図』は分かるけど、『実施』のレベルで現場が苦しんでいることを考えると、やはり準備の時間を確保させてほしい。どうか新しい教育課程を考える時には、実施のレベルで現場がきちんとプログラムを考えられるような方策を考えてほしい」というような言った……というか言ったつもりだったけど緊張して思ったことの半分も喋れなかった(^_^;)。教育課程を編成している人に直接意見を述べる機会なんてそうそう無い。生意気なことを言ったとは思うのだが、同時に勉強にもなった。やはり自分で参加する意識が高まるので、うまいことでなくても言ってみるもんだ。
 それにしても500人近い中で手を上げて意見を言うのは緊張した(もしかしたら、おとなしい子が手を上げた時もそういう感覚なのかも知れない)。話ながらカクカクと膝が震えた。昔から僕は緊張すると膝が笑うのだ。中学生の時、リコーダーのテストでも膝が笑ったっけ。あの時は笛の音よりも床がカタカタ鳴る音の方がうるさかった覚えがある(^_^;)。